世界の偉人筆跡カレンダー 1989年

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バッハの四分休符


     シューベルト


      ショパン


       バッハ


      モーツァルト


     ブラームス


     シュトラウス


      マーラー


     ドビュッシー


     ドヴォルザーク


       リスト


     ヴァーグナー


     ベートーヴェン

1989年 Calendar  





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1月 フランツ・ペーター・シューベルト Franz Peter Schubert

1797.1.31~1828.11.19
オーストリア、ロマン派の作曲家。幼い頃から楽才を発揮。王立コンヴィクト学寮に進み、児童歌手となり王室礼拝堂合唱隊長サリエーリに師事した。ドイツ歌曲をウィーン楽派の楽器の水準に高める。出世を急ぎ歌劇を数曲作るが、顧みられず孤独と貧困のうちに没する。代表作に、ゲーテの詩に基づく「魔王」「野ばら」など140篇の歌曲があげられる。生涯、ウィーンを離れることはなかった。

2月 フレデリック・フランソワ・ショパン Frédéric François Chopin

1810.2.22~1849.10.17
ポーランドの作曲家。”ピアノの詩人”とも称される。祖国を去り、パリに定住。ポーランド人たちを中心とする貴族社交界でもてはやされる。肺を患い、愛人の女流作家ジョルジュ・サンドと共にマジョルカ島への転地を試みたこともある。ポーランドの民族舞曲である「ポロネーズ」「マズルカ」などの作品は、19世紀後半の民族主義ロマン派の先駆となる。作風は、憂国の熱情と詩趣にあふれる。

3月 ヨハン・セバスチャン・バッハ Johann Sebastian Bach

1685.3.21~1750.7.28
バロック音楽の集大成と評される。ドイツの作曲家。3世紀にわたり、音楽家を輩出した家系に生まれる。苦学の後、宮廷楽士をふりだしに、協会オルガンの作曲・演奏で名声を博し、ザクセン公宮廷作曲家の称号も得る。19世紀のドイツ・ロマン主義思想が、没後忘却された彼を純ドイツ的、宗教的、情操的作曲家と認め、復活。20世紀に入ると、現代音楽にも深い影響を与える。主な作品に、「マタイ伝受難曲」「ロ短調ミサ曲」がある。

4月 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト Wolfgang Amadeus Mozart

1756.1.27~1791.12.5
音楽家の一族に生まれ6歳の時からピアニストとして、父や姉と巡演する。大司教附音楽職を辞した後、ウィーンに定住。感情、感覚の極めて鋭い特異な個性で、あらゆる音楽様式を柔軟に吸収し、他の模倣を許さない独自の様式を創出、自由な活動を行う。一方、夫婦とも家計にうとく、年々窮乏する。代表作に「フィガロの結婚」「ドン・ジョヴァンニ」など。ドイツ古典主義音楽の粋。

5月 ヨハネス・ブラームス Johannes Brahms

1833.5.7~1897.4.3
独特の古典的ロマン主義派の様式を築く。ドイツの作曲家。貧しい楽師であった父に教育される。シューマンに認められ、一家と親交を結び、彼の死後も、未亡人クララや子女への援助を続ける。生涯独身だったが、それはクララへの愛ゆえといわれる。創作においては、好んで古風な形式と作曲技法を用い、個人的心情が芸術の表面に出るのを避けたが、彼本来の感情の豊かな資質が自ずから表れている。管弦楽、交響曲、セレナーデなど、多くの作品がある。

6月 リヒャルト・シュトラウス Richard Strauss

1864.6.11~1949.9.8
ドイツ後期ロマン派音楽の最後の巨匠。ミュンヘンに生まれる。6歳で「ポルカ舞曲」を、16歳で「第一交響曲」を完成させる。ベルリン・フィルハーモニーやウィーン国立オペラなどの指揮者も歴任した。ヒトラー政権当初、国家音楽局総裁に就任。大戦後ミュンヘン非ナチス化裁判にかかるが無罪となる。「グントラム」「サロメ」「エレクトラ」などを残し、今世紀前半における随一の歌劇作曲家でもある。

7月 グスタフ・マーラー Gustav Mahler

1860.7.7~1911.5.18
オーストリア、後期ロマン派の作曲家。ウィーン音楽院、ウィーン大学に学びブルックナーの音楽理論に深く感銘する。ハンブルグ歌劇場、ウィーン国立歌劇場、晩年はニューヨークのメトロポリタン劇場などで優れた歌劇指揮の腕をふるった。作風は、厖大な管弦楽編成と長大な形式により世紀末的な厭世観を表現し、同時に新時代の表現主義的傾向も感じさせる。主な作品に「さすらう若者の歌」「大地の歌」がある。

8月 クロード・アシール・ドビュッシー Claude Achille Debussy

1862.8.22~1918.3.25
印象主義派の始祖である。フランスの作曲家。11歳でパリ音楽院に入る。在学中、ロシア音楽、特にムーソルグルスキーの作品に大きな影響をうける。「蕩児」でローマ大賞を得た後、マラルメのサロンに出入りし、象徴派詩人や印象派画家との交遊を深める。マラルメの詩に基づく管弦楽曲、「牧神の午後への前奏曲」において作風を確立する。

9月 アントニン・ドヴォルザーク Antonin Dvořák

1841.9.8~1904.5.1
民族主義ロマン派を代表する、チェコスロバキアの作曲家。プラハの音楽学校に学び、プラハ国民劇場でヴィオラ奏者をしながら作曲に励む。ブラームス、ハンスリックらの知遇を得て、楽壇に進出。「スラブ舞曲」で成功し、指揮者として楽旅を重ねる。ニューヨークに国民音楽院長として滞在中「新世界交響曲」を完成する。作風は、古典及びロマン派の技法に民族性を強く反映させた。汎スラブ的である。

10月 フランツ・リスト Franz Liszt

1811.10.22~1886.7.31
9歳で才能を認められ貴族の支援のもとにウィーンで学ぶ。パリを中心にヨーロッパ各地で活躍した19世紀を代表する名ピアニストであり、作曲家である。ハンガリー生まれ。交響詩曲の形式を完成し、近代的、色彩的な管弦楽法の新境地を開く。ロシア貴族の女性との結婚が果たせず宗教生活に入り、教会音楽を多数作曲。主な作品に「ファウスト交響曲」「ハンガリー狂詩曲」がある。

11月 ウィルヘルム・リヒャルト・ヴァーグナー Wilhelm Richard Wagner

1813.5.22~1883.2.13
ドイツの歌劇作曲家。自身は楽劇と称した。不幸な幼少年時代を送り、16歳から正式に音楽を学ぶ。作風は「ローエングリン」で決定づけられる。音楽の動きは即ち登場人物の動きを表わす。この技法と大胆な管弦楽法は、世界の作曲家に強い影響を与えた。女流詩人ヴェーゼンドンクとの恋愛、破綻を経て、リストの娘と結婚する。三部作の大楽劇「ラインの黄金」には多大な情熱と歳月をかけた。歌劇台本はドイツ文学史に特異な位置を占める。

12月 ルートヴィッヒ・ファン・ベートーヴェン Ludwig Van Beethoven

1770.12.16~1827.3.26
ロマン主義音楽を創始する。ドイツの作曲家。人道主義的思想の上に立ち、妥協を排し、活発な作曲活動を行い、努力の一生を送る。師ハイドンやモーツァルトらが築いたドイツ古典主義の形式を自由に駆使し、音楽を啓示の水準にまで高めた。19〜20世紀の音楽は彼の芸術が内包するものの発展である。前途は洋々と開けたが、次第に聴力を失ってゆく。交響曲、ピアノ協奏曲など名作は数知れない。