世界の偉人筆跡カレンダー 1991年

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    アインシュタイン  


    ガリレオ・ガリレイ  


      ニュートン   


     エディソン


     ライプニッツ


  ベンジャミン・フランクリン


       ガウス


      メンデル


      マクスウェル


    マリー・キュリー


      ダーウィン


      ケプラー

1991年 Calendar  





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1月 アルバート・アインシュタイン Albert Einstein

1879.3.14~1955.4.18
理論物理学者。南ドイツのウルムに生まれるが、後にナチスに追われ、スイス、アメリカに赴き市民権を得る。
スイス時代には特殊相対性理論を発表し、さらにこれを発展させ一般相対性理論を完成。
立証が難しかった彼の理論は、後に日食観測によって実証され、学会注目の的となった。
また、光量子概念を初めて導入した功績も大きく、後にノーベル物理学賞を受賞。
アメリカへ渡ってからは、人権擁護運動や平和運動の熱心な支持者であった。

2月 ガリレオ・ガリレイ Galileo Galilei

1564.2.15~1642.1.8
イタリアの物理学者、天文学者。
ピサに生まれ、ピサの聖堂の吊灯を見て振り子の等時性を発見した。
また、ピサの斜塔で落体の実権を行い、アリストテレスの自然学の誤りを正し、近代力学成立の基礎となった。
天文学では、望遠鏡を初めて天体観測に応用して木星の衛星を発見。
コペルニクスの地動説に一証を与えたが、宇宙論を主張する協会側の迫害にあい、地動説の放棄を命ぜられる。
それでもなお、「地球は動く」と信念をまげなかった逸話も残っている。
物理学の世界において、数学的手法を初めて取り入れ、近代自然学の祖と称せられる。

3月 アイザック・ニュートン Isaac Newton

1643.1.4~1727.3.3
イギリスの物理学者、天文学者、数学者。ウールズソープの農家に生まれる。
万有引力を発見した物理学者として有名である。
長い年月を増やして月の公転をを研究し、彼の引力説を不動のものとした。
数学の分野では、無限級数を研究してニ項定理を樹立。流分法の思想を用いて微積分の概念を確立した。
数学方程式の近似解法、内挿法等の研究も行った。
光学上の実験的研究も早くから始め、反射望遠鏡を制作した。
84歳の生涯を通じて独身をつらぬいた。

4月 トーマス・アルバ・エディソン Thomas Alva Edison

1847.2.11~1931.10.18
アメリカの発明家。オハイオ州のミランに生まれる。
学校教育は3ヵ月受けたにすぎず、12歳の時、鉄道の新聞売子となり、車中新聞を世界で初めて発行した。
電信技術を学んで電気に非常な興味を覚え、自動中継器、印字電信機などを発明。
また、ベルの電話機に暗示されて、蓄音機を発明した。
白熱電球の発明も志し、京都産の竹で作った炭素フィラメントを使い遂にこれを完成。
さらに、今日の真空管の発展の端緒となった実験も行った。
長距離無線電信の一部特許を得、その他活動写真も発明。
アルカリ蓄電池と今日のトーキーの先駆〈キネトフォン〉の発明もあり、
生涯に得た特許の数は1300種類以上にもおよぶ。

5月 ゴットフリート・ウィルヘルム・ライプニッツ Gottfried Wilhelm Leibniz

1646.7.1~1716.11.14
ドイツの数学者、哲学者。ライプチヒに生まれる。
6歳で父を失った彼は、父の蔵書を教父として哲学を理解していった。
政治家的生活に踏み出してからも自己の学問研究をおしすすめ、数多くの論文を発表。
今日と同じ原理に基づく計算器を発明し、生涯その改良に努めた。
自ら新しい哲学の原理を追求、確立し、政治に反映させつつ、
ローマ・カトリックとプロテスタントの和解統一に力を尽くした。
同時にアカデミーの設立を進めた。
ドイツの安全とヨーロッパの平和を真に願う愛国者であった。

6月 ベンジャミン・フランクリン Benjamin Franklin

1706.1.17~1790.4.17
アメリカの政治家、出版業者、科学者、著述者。
ボストンの貧しい蠟燭、石鹸製造人の家に生まれ、父の手助けの為、10歳で退学。
印刷業を学び、自らリチャード・サンダースのペンネームで執筆活動をするかたわら、
アメリカの最初の雑誌を出版するなど著述家、出版業者として活躍する。
二重焦点レンズやハーモニカを発明。
雷雨中に凧をあげて雷電と電気が同じものであることを立証した。
独立革命戦争の歳には、革命指導者の一人となり、独立宣言起草委員の一人となった。
パリ条約でも、アメリカ全権を担う大使としてアメリカ合衆国の独立に成功。
政治家としても名を残した。

7月 カール・フリードリッヒ・ガウス Carl Friedrich Gauss

1777.4.30~1855.2.23
ドイツの数学者、物理学者、天文学者。大工の子として生まれる。
ゲッティンゲン大学に学び、同大学教授兼天文台長となる。その間、『整数論研究』を発表。
学位論文では代数方程式の根の存在定理の証明を与え、
整数論に関する論文では複素数の図示法を示した。
数学の応用に関しての業績も多く、自己の発見した最小自乗法を用いて惑星軌道決定に成功した。
ハノーヴァー政府の科学顧問として同地方の測量を指導し、測地学の基礎を確立。
その研究結果から『誤差論』『共形写像論』『曲面論』等を著している。

8月 グレゴール・ヨハン・メンデル Gregor Johann Mendel

1822.7.22~1884.1.6
オーストリアの植物学者。ブリュンのアウグスチノ会修道院に入り司祭になる。
ウィーン大学で自然科学を修めた後、ブリュンに戻り、修道院長となる。
修道院の庭に植物を栽培して遺伝の実験を行い、
エンドウについて〈メンデルの法則〉を発見し、これを発表した。
さらにミヤマコウゾリナに関する研究を発表したが、いずれも世の注目をひかず、
失意のうちに没した。
しかし、のちに同様の実験によって、〈メンデルの法則の再発見〉としてその業績があらためて発表され、
今日に知られるようになった。

9月 ジェームス・クラーク・マクスウェル James Clerk Maxwell

1831.6.13~1879.11.5
スコットランドの物理学者。アバディーン、ロンドン、ケンブリッジの各大学教授。
ケンブリッジ大学にカヴェンディッシュ研究所を創立、その初代所長となる。
電磁場の数学的展開を行い、〈マクスウェルの基礎方程式〉を導出して
電磁気学理論を大成するとともに、光の電磁理論を樹立した。
また、気体の運動学的理論の研究や、土星環および色感に関する物理的研究も行った。

10月 マリー・キュリー Marie Curie

1867.11.7~1934.7.4
女流物理学者、科学者。ワルシャワに生まれる。
政治運動に関与してワルシャワでの研究を断念、パリに亡命する。
夫、ピエールも物理学者であり科学者であった。
ベクレルの研究に刺激され、ついに放射能元素の存在と原子の自然崩壊の事実を発見。
今日の原子核物理学の先駆をなした。
夫とベクレルと共同でノーベル物理学賞を受賞。
夫の死後も研究を続け、金属ラジウムの分離に成功してノーベル化学賞も受賞した。
長女も物理学者。次女は音楽家であり、劇作家。
次女が綴った母の伝記が『キュリー夫人』である。

11月 チャールズ・ロバート・ダーウィン Charles Robert Darwin

1809.2.12~1882.4.19
イギリスの博物学者、進化論者。シュルーズベリに医者の子として生まれる。
博物学者として測量船に乗船。ブラジル、ペルー、オーストラリアなどの
南半球を周航した際、各地の博物学的観察で生物の進化の信念を得て帰国した。
ケンブリッジ、ついでロンドンに居住。
地質学および動物学を研究し、種の起原の問題についての最初の覚書を作成した。
『種の起原』を刊行して生物進化の事実を掲示し、自然淘汰説を樹立。
動物学、植物学、人類についての研究を続け、多くの著作を残した。

12月 ヨハネス・ケプラー Johannes Kepler

1571.12.27~1630.11.15
ドイツの天文学者。プロテスタントに関する宗教的迫害にあい、プラハに逃れる。
師であるブラーエが多年観測した惑星の位置に基づいて、初めて惑星の軌道形とその運動法則、
いわゆるケプラーの第一、第二、第三法則を発見した。
これがニュートンの万有引力発見の基礎となったことは有名である。
また望遠鏡の研究を行い、接眼レンズとして正レンズを使うことの有利なことも示した。
プラハでは妻や子を失い、のち、各地を転々とした。