世界の偉人筆跡カレンダー 1993年

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1993年 Calendar  





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1月 ピエール・オーギュスト・ルノワール Pierre Auguste Renoir

1841.2.25~1919.12.3
フランスの画家。中部フランスのリモージュに裁縫師の子として生まれる。
12~13歳の頃から陶器の絵付け職人の徒弟となり、
のち画家を志してグレールのアトリエに入り、モネ、シスレー、バジールと知り合う。
はじめドラクロアやディアズに傾倒してロマン派的な絵を描いた。
やがてモネとともに、移ろいゆく光の効果を表現した作品を描き、いわゆる印象派を確立した。
晩年は、風景よりも子供や女の肖像、裸体、浴女を描いた傑作が多く、色彩では赤の表現に優れた。
40歳後半から慢性的な病に悩まされ続けたにもかかわらず、78歳で没するまで絵画への情熱が衰えることはなかった。
〈ムーラン・ド・ラ・ギャレット〉〈シャルパンティエ夫人と子供たち〉〈雨傘〉

2月 パウル・クレー Paul Klee

1879.12.18~1940.6.29
スイスの画家。音楽教師の父をもち、少年時代をベルンで過ごした。
19歳のときに画家になる決心をし、ミュンヘンに出て絵を描いた。
のちに、マルク、カンディンスキー等の〈青騎士〉グループのメンバーとなり、
表現派の画家として活躍。やがてパリに出て、ピカソを知り、立体派の感化を受ける。
瞑想的な色と素朴な線によって、童話の世界を思わせる独特な幻想を描き出している。
60歳で病に倒れるまで、9000点もの作品を残した。
また、少年時代から音楽や文学にも親しむ。ヴァイオリンを毎日弾き続け、
20代に書いた詩は、彼の作品の標題の中に生き続けている。
〈石切場にて〉〈いにしえの響、黒の上の抽象〉〈四角のなかの三拍子〉

3月 ピーター・ポール・ルーベンス Peter Paul Rubens

1577.6.28~1640.5.30
フランドルの画家。アントワープの法律家の子としてヴェストファーレンのジーゲンに生まれる。
15歳のときから絵を描きはじめ、26歳で外交使節としてスペインに赴き、
マドリードで多くの名作を残した。
のちにアントワープに定住し、宮廷画家となってパリのリュクサンブール宮殿の装飾画を描いた。
その後、ステーンの城館を買い求めて制作に没頭した。
作品はあらゆる分野にわたって明るい生気にあふれ、線は力強く、色彩は豊富華麗、
構図もきわめて雄大であり、野性的、官能的表現に巧みであった。
また彼は妻や子供をモデルにして多くの作品を描き、とくに子供の画家としても知られる。
〈フォン・レルマ公の騎馬像〉〈最後の審判〉〈三美神〉

4月 サンドロ・ボッティチェリ Sandro Botticelli

1444.3.1~1510.5.17
イタリアの画家。はじめ彫金を学び、ついでリッピに絵を学び、
さらにポライウォロとヴェロッキョの影響下にその様式を展開した。
主としてフィレンツェでメディチ家のために制作したほか、
ヴァティカンのシスティナ礼拝堂のフレスコを描く。
彼は当時もっとも早くギリシャ神話に取材した絵を制作、また多くの聖母像を描いた。
その作風は独特の優雅さと繊細な感覚をもち、古代美術を研究すると同時に
サヴォナローラから精神的な感化を受け、神秘的な性格が現れる。
近代イギリスのラファエロ前派に大きな影響を与えた。
〈モーゼの生涯〉〈聖母画〉〈ヴィーナスの誕生〉

5月 ポール・セザンヌ Paul Cézanne

1839.1.19~1906.10.22
フランスの画家。南仏のエクス・アン・プロヴァンスに生まれる。
22歳でパリに出るが、美術学校入学に失敗、サロンにも常に落選し、
都会にもなじめず、終生パリとエクスの間を往復した。
彼は、はじめ写実派の影響を受けて明るい色調、色彩のみによるフォルム(形)および
ヴァルール(色価)の表現を試み、次第に独自の画風を展開、のち印象派とはっきり別れた。
それはゴッホ、ゴーギャンとともに後期印象派とよばれ、近代絵画に大きな影響を与えた。
彼はまた、マネ、モネ、ルノワール、ピサロ等印象派画家と交友したほか、
同郷の作家ゾラと親交があった。67歳で生地エクスで没した。
〈赤いチョッキの少年〉〈トランプをする人びと〉〈エスタック風景〉

6月 クロード・モネ Claude Monet

1840.11.14~1926.12.6
フランスの画家。パリの裕福な食料卸商の子として生まれる。
少年時代、ル・アーヴルで海と大気のもつ美しさに啓発され、ブーダンに師事する。
22歳のとき、パリでバジール、シスレー、ルノワールらと出会い、
その後パリに近い田舎町アルジャントゥイユで、ルノワールらと風景を題材に絵を描いた。
モネの芸術の実り豊かな形成期であり、印象主義の真の始まりであった。
水辺の光景をとくに好み、セーヌ河畔のジヴェルニーに転居して水の庭園を造った。
その後の大半の絵画の素材となり、最後の大作〈睡蓮〉も、ここで描きあげた。
印象派の開拓者であり、指揮者であった。ジヴェルニーを愛し、晩年まで過ごす。
〈印象・日の出〉〈ルアン大聖堂〉〈睡蓮〉

7月 イレール・ジェルマン・エドガー・ドガ Hilaire Germain Edgar Degas

1834.7.19~1917.9.26
フランスの画家。銀行員の息子としてパリで生まれる。
法律を勉強したのち、12歳で画家になる決心をする。
初期の頃は、肖像画や歴史画を描いたが、マネとの出会いや
印象派の画家仲間に刺激されて、主題を全く変え同時代の生活を描くようになった。
ドガと印象派画家とは、日本の浮世絵版画に対する関心など共通の点を多くもちながら、
人工的な照明を好み、風景画に何の関心ももたなかった点で、それとは大きく分かれるものであった。
1870年代にはパステルや版画にも興味をもち、技法の新しい試みを行った。
しかし、ドガの視力は徐々に悪化し、視力の衰えとともに孤独も一層深まる。
83歳で生涯を終えた。
〈入浴の後〉〈帽子屋にて〉〈舞台の踊り子〉

8月 ポール・ゴーギャン Paul Gauguin

1848.6.7~1903.5.8
フランスの画家。パリのノートル・ダム・ロレット街に生まれる。
35歳のとき、成功をおさめていた株式仲買人の生活を捨て、画家への道を決意する。
しかし画家になってからは、貧窮した生活に苦しみ、
妻と5人の子供をもちながら一緒に住むことはなかった。
1888年、南仏のアルルでゴッホと共同生活を送るが、ゴッホの発狂によって2ヵ月で終止符を打つ。
3年後、西洋文化から逃れるように向かったタヒチでは、その風物に取材し、
強い線、強い色調で新しい画風を築く。のちの絵画に多くの影響を与えている。
一時パリに帰国するが、再びタヒチに戻ってからは、ケガや病に見舞われ、
入退院を繰り返すうちに、54歳でこの世を去る。
〈黄色のキリスト〉〈タヒチの女〉著書〈ノア・ノア〉

9月 エドワール・マネ Edouard Manet

1832.1.23~1883.4.30
フランスの画家。パリの富裕な司法官の家に生まれる。
18歳で画家への道を両親に許され、クーチュールの教室に通うようになる。
イタリア、ドイツ等に旅行し、ベラスケスやゴヤなどの影響を受け、
コロー、クールベ等の作品から新しい写実を学んだ。
〈ギターを弾く人〉によってサロンにデビューした彼の周囲には、
モネをはじめ若い画家たちが集まり、そこから印象派が生まれた。
〈オランピア〉〈笛吹き〉〈ゾラの肖像〉等により、ますます絵画から思想的主題の制約を除き、
自由な創作態度で明快な色彩と構図による感覚的な美だけを追求した。
左足を病み、それがもとで51歳で世を去った。
〈笛吹きの少年〉〈温室にて〉〈フォリ・ベルジェールのバー〉

10月 グスタフ・クリムト Gustav Klimt

1862.7.14~1918.2.6
オーストリアの画家。ウィーン郊外のバウムガルデンに、彫刻師の息子として生まれる。
やはり画家になった弟エルンストとフランツ・マッチュとともに、
ウィーンのブルク劇場の天井画など、数々の作品を残した。
また、その下の弟ゲオルクは彫刻家となってグスタフの絵のために額縁を制作した。
分離派の指導者として活動し、退会後は、オーストリア芸術家同盟を結成する。
風景画は35歳のとき初めて描かれ、晩年は、ヴァン・ゴッホを思わせるモチーフが現れるようになる。
そのほか優雅な裸婦像も描いた。
1918年、ルーマニア旅行から戻って脳溢血で倒れ、55歳で没する。
〈愛〉〈接吻〉〈黄金の林檎樹〉

11月 ラファエロ・サンツィオ Raffaello Sanzio

1483.4.6(3.28)~1520.4.6
イタリアの画家。フィレンツェの南東、アペニン山脈の山間の町ウルビノに生まれる。
8歳のときから、画家であり金工家であった父の助手となり手ほどきを受けた。
父の死後は、ヴィティの作風を学び、次にペルジーノの工房に入って、
師の作風を我がものにしていった。
21歳のときフィレンツェに赴き、レオナルド・ダ・ヴィンチおよびミケランジェロの影響を身につける。
その後、ローマに出てヴァティカン宮の壁画3室の制作依頼を受け、
堂々たる作を成し、次第に名声を広めていった。
しかし、37歳の若さで没したため、依頼を受けた多くの制作は、業半ばのものとなる。
性格は、明敏温厚で、美貌の彼は誰からも愛された。
〈アテナイの学堂〉〈キリスト変容〉〈システィーナの聖母〉

12月 ディエゴ・ロドリーゲス・デ・シルバ・イ・ベラスケス Diego Rodríguez de Silva y Velázquez

1599.6.6~1660.8.6
スペインの画家。セビーリャで生まれる。
エレラ、次いでパチェコに師事し、18歳で画家組合の出入りを許される。
これによって、彼は自由奔放に画業に励むこととなる。
のち、マドリードに出て、詩人や国王の肖像を描いて名声を博し、宮廷画家となる。
使節としてマドリードに来たルーベンスの勧めで2度イタリアに旅行し、ティツィアーノ、ヴェロネーゼ、ティントレット等の作風から多くを学び、とくに色彩のうえで大きな発展を示した。
帰国後も宮廷の主要官職に任じ、肖像画、宗教画、風景画等を制作し、マドリードで没する。
彼の絵画は後世スペインのみならず、フランスの画家にも多大な影響を与えた。
〈オリバーレス伯〉〈青い衣装の王女マルガリータ〉〈鏡のヴィーナス〉