世界の偉人筆跡カレンダー 1995年

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1995年 Calendar  





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1月 与謝蕪村 Buson Yosa

1716~1783.12.25
江戸時代の俳人、文人画家。
摂津の国(今の大阪府)に生まれる。1730年代、江戸へ出て俳諧を学ぶ。
1744年俳諧集「歳旦帖」を宇都宮で刊行。
1754年から3年間丹後国与謝に滞在し、画技の修練に励む。
1763年南宗画風の大作「春秋山水図」を描く。詩、書、画の内的一体化をめざし、絵画的な俳句や俳趣をもりこんだ書画など、独自の作品を残した。
1780年連句集「桃李」を刊行する。「菜の花や月は東に日は西に」は有名である。

2月 高村光太郎 Kotaro Takamura

1883.3.13~1956.4.2
詩人で彫刻家。東京に生まれる。父光雲も彫刻家である。
1900年雑誌「明星」に短歌を発表、のち多くの詩、戯曲、翻訳を発表する。
1906年から3年間欧米に留学。美術・彫刻を学び、ロダンの影響を受ける。
帰国後「パンの会」に加わり、享楽詩人として活躍。
雑誌「白樺」の同人と接し、詩風が理想主義、男性的となる。
1914年第一詩集「道程」を刊行。1941年妻智恵子との愛の絶唱「智恵子抄」を出版する。

3月 斎藤茂吉 Mokichi Saito

1882.5.14~1953.2.25
大正・昭和の歌人であり、医師。
山形県に農業を営む守谷伝右衛門の子として生まれるが、のち、医師斎藤紀一の養子となる。
歌人伊藤左千夫に師事し、雑誌「馬酔木」「アララギ」に短歌や評論を発表。アララギ派を確立した。
1913年処女歌集「赤光」を刊行。のち「暁紅」「白桃」を発表。
1951年文化勲章を受章する。写生主義と雄偉な万葉調の家風に特徴があった。

4月 与謝野晶子 Akiko Yosano

1878.12.7~1942.5.29
詩人、歌人。
大阪堺に菓子商駿河屋の娘として生まれる。
1900年雑誌「明星」に短歌を発表。
同年大阪に来遊した明星の主宰者与謝野鉄幹と知遇を得、のち、結婚する。
1901年処女歌集「みだれ髪」を刊行。明星派の指導者としてロマン主義の歌風を提唱する。
日露戦争中、「君しにたまふこと勿れ」の反戦詩を発表。
世俗の常識に妥協せず、自己の信念で生涯を送った。

5月 正岡子規 Shiki Masaoka

1867.9.17~1902.9.19
明治期の俳人、歌人、随筆家。
伊予国(愛媛県)に松山藩士の子として生まれる。本名常規。
1892年日本新聞社に入社。1894年小日本新聞編集主任。
文人としては、1894年一生の仕事となった「俳句分類全集」の編纂に着手。
1896年子規庵で句会を開き、高浜虚子、河東碧梧桐らが参加する。
写生の理論を立て、詩誌「ホトトギス」を郷里松山で創刊。短歌革新を唱え、明星派と対立した。
1887年頃から野球熱にとりつかれ、「BASE-BALL」と題する散文も発表している。

6月 立原道造 Michizo Tachihara

1914.7.30~1939.3.29
詩人、建築家。東京日本橋生まれ。
文学的に早熟で東京府立三中の頃から、短歌や詩を書き、先輩の堀辰雄に兄事。
「四季」に最年少詩人として登場した。東京大学工学部建築科に進み、大学の友人らと「未成年」を創刊。「コギト」に詩を発表する。1937年処女詩集「萱草に寄す」、第二詩集「暁と夕の詩」を続けて出し、青春の叙情を歌った。リルケやボードレールに惹かれ、新古今和歌集を愛する。
建築家としては浅間山麓の芸術家コロニーのプランが残っている。

7月 小林一茶 Issa Kobayashi

1763.5.5~1827.11.19
江戸後期の俳人。信濃国(長野県)に農民の子として生まれる。本名信之。
師は二六庵竹阿。師の没後二六庵を継ぐ。
1792年から98年まで関西、中国、四国地方を行脚し、俳諧修業をする。
その間「寛政句帖」「旅拾遺」を刊行。旅の記念として「さらば笠」を刊行する。
一茶調とよばれる独自の句風を確立し、門人も数多くいた。
「あの月をとってくれろと泣く子かな」「我ときて遊べや親のないすずめ」はよく知られている。

8月 若山牧水 Bokusui Wakayama

1885.8.24~1928.9.17
明治期から大正期にかけての歌人。
宮崎県に医師の子として生まれる。本名繁。
1909年中央新聞社に入社、社会部記者となる。
歌人としては1908年処女歌集「海の声」を出版。
1910年歌集「別離」を出版し、名声を確立。自然を愛して旅を好み、清新な紀行文を残した。
散文集「旅とふるさと」、紀行文「みなかみ紀行」が知られる。
妻喜志子も歌人で共著歌集「白梅集」がある。

9月 中原中也 Chuya Nakahara

1907.4.29~1937.10.22
詩人。山口市の生まれ。京都立命館中学時代に富永太郎との交遊でフランス象徴詩を学ぶ。
「朝の歌」によって生の倦怠を歌う詩作の方法をつかみ、同人誌「白痴群」を創刊、ここに「寒い夜の自画像」などを発表。
1934年処女詩集「山羊の歌」を刊行した。ランボー詩集の翻訳も手がける。
詩は、生の切迫感そのものの表現で、調和を求め違和を思い知る孤独な魂のありようをアイロニーを込めて歌いあげた。

10月 萩原朔太郎 Sakutaro Hagiwara

1886.11.1~1942.5.11
大正、昭和前期の詩人。
群馬県に医師の子として生まれる。口語自由詩と象徴詩の結合により、口語詩を完成した。
1913年北原白秋主宰の雑誌「朱欒」に詩、短歌を発表。
1916年室生犀星と詩誌「感情」を創刊、終生の友人となる。
1917年処女詩集で代表作「月に吠える」を刊行、不動の地位を築く。
第二詩集「青猫」続いて「純情小曲集」を刊行する。
哀傷と倦怠による詩情を日本語の特殊性を生かし、見事に表現した。

11月 種田山頭火 Santoka Taneda

1882.12.3~1940.10.11
俳人。山口県防府市に酒造業を営む大地主の長男として生まれる。本名正一。
9歳のとき、母フサが自殺。その衝撃は終生消えなかった。28歳で結婚。翌年一子をもうける。
郷土の雑誌「青年」にモーパッサンやツルゲーネフの翻訳、感想文を発表。
1913年「層雲」に投句。荻原井泉水に師事する。
酒造業に失敗。熊本で「雅楽多書房」を3年間経営。
1929年離婚。のち出家得度、放浪の旅へ。歩く、飲む、作る、生活即俳句の生涯であった。

12月 良寛 Ryokan

1758~1831.1.6
江戸中期の禅僧、歌人、書家。
越後国出雲崎(新潟県)に大庄屋名主山本家の長男として生まれる。
15歳で元服し、後を継ぎ、名主見習となるが、18歳で隣村尼瀬の曹洞宗光照寺へ入り、出家する。
備中玉島の円通寺住職国仙和尚が訪れ、ともに円通寺に向かう。
国仙の死後、苦学修業をし、諸国を行脚。のち帰郷して国上山に五合庵を結ぶ。
生涯寺を持たず、手まり上人と呼ばれ子供と遊んだ。
天衣無縫で飄々とした作風の和歌や書を残した。