世界の偉人筆跡カレンダー 1997年

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1997年 Calendar  





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1月 アンリ・ド・トゥルーズ=ロートレック Henri Marie Raymond de Toulouse-Lautrec

1864.11.24~1901.9.9
フランスの画家・石版画家。南仏・トゥルーズの古い名門貴族の子として生まれる。
元来虚弱で、少年期の2度の事故により両足を骨折、下半身不具となる。
社交界を嫌い、1885年頃からはモンマルトルのキャバレー、カフェ、サーカスなどに入り浸り、パリ風俗の哀歓を鋭い観察眼と正確なデッサンで辛辣に描き出した。
また石版画によるポスターにも傑作が多い。ドガや浮世絵などに傾倒しつつ独自の手法を生み出す。
過度の飲酒がもとで健康を害し、36才で没した。
主な作品に『ムーラン・ルージュにて』(1892)、『踊るジャンヌ・アブリル』(1892)など。

2月 ウジェーヌ・ドラクロワ Ferdinand Victor Eugène Delacroix

1798.4.26~1863.813
フランスの画家。ロマン派の指導者。パリ近郊のシャラントンに生まれる。
ゲランのアトリエに学ぶ。1822年『ダンテの小舟』でサロンにデビュー。
当時、古典主義全盛のフランス画壇において反響を呼んだ。
その後、『キオス島の虐殺』(1824)、『サルダナパールの死』(1828)などを発表。
ロマン派の旗手としての地位を確立する。
1832年、モロッコに旅行、地中海の明るい光に影響を受ける。
パリのパレブルボンの天井画、フランス元老院の壁画など、モニュメンタルな装飾も数多く手がけた。
強烈な色彩とドラマティックな構図が特徴。
文筆活動も盛んに行った。彼が近代絵画に与えた影響は大きい。

3月 ジャン=バティスト=カミーユ・コロー Jean-Baptiste-Camille Corot

1796.7.16~1875.5.22
フランスの画家。服地職人の子としてパリに生まれる。
当初は家業を手伝っていたが、1822年からミシャロン、次いで古典主義的歴史風景画家ベルタンに師事した。1827年よりサロンに出品。以後、各地を旅行し風景画を描く。
1855年のパリ万国博覧会以降評価が高まった。
『モルトフォンテーヌの回想』(1864)など銀灰色を基調とした夢幻的風景画が有名。
こうしたサロン出品用のアカデミックな画風の作品と、自然や人物描写に関する研究的作品を区別していた。後者における明確な造形性と色彩表現は、のちの印象派に先駆けるものであった。

4月 ジョルジュ・ブラック Georges Braque

1882.5.13~1963.8.31
フランスの画家。アルジャントゥイユに生まれる。
ル・アーヴル、次いでパリの美術学校に学ぶ。24才の時、アンデパンダン展に初入選。
1907年、ピカソと出会い、セザンヌの影響を受け、キュビズムを創始。
第一次大戦までピカソとともにキュビズム運動の中心的存在だった。
しかし、大戦従軍後は平明で自然な画風となり、重厚で洗練された色彩とフォルムにより、室内、静物、アトリエなどのシリーズを描いた。1937年、カーネギー国際美術展大賞を受賞し、国際的な名声を得た。20世紀最大の巨匠の一人である。
代表作に、『コンポートとトランプ』(1913)、『カフェ=バー』(1919)など。

5月 ジョーゼフ・マラード・ウィリアム・ターナー Joseph Mallord William Turner

1775.4.23~1851.12.19
イギリスの風景画家。ロンドンに生まれる。
ロイヤルアカデミーの美術学校に学ぶ。当初、地誌的な水彩画を描いていたが、1828年のイタリア旅行以後1840年頃までは、客観と主観の表現が調和した輝かしい色彩の風景画が生まれた。その後『戦艦テメレール』(1839)など幻想的な作品もしばしばみられるようになる。イギリス最初の「光の画家」としてドラクロワをはじめ、印象派にも影響を与えた。また、生涯多くの版画の下絵を描き、自分で製版した版画集もある。2万点近い作品は国家に寄贈され、現在その大半がロンドンのテートギャラリーに所蔵されている。

6月 ダンテ・ガブリエル・ロセッティ Dante Gabriel Rossetti

1828.5.12~1882.4.9
イギリスの画家・詩人。ロンドンに生まれる。
イタリアの詩人で、ダンテの研究者でもあったガブリエーレ・ロセッティの子。
ハントやミレイらとともにラファエル前派を結成し、『聖母の少女時代』(1849)を発表。
彼の中世への憧憬は作品の主なモチーフであり、題材をダンテの詩やギリシャ神話、聖書などから多く得た。とくにダンテへの賞賛は際立った。
結婚後2年に満たない愛妻エリザベスの自殺にショックを受けた彼は、自らをダンテと同一視し、妻をダンテの恋人ベアトリーチェになぞらえ『ベアタ・ ベアトリクス』(1863)を描いた。また、詩も数多く制作した。

7月 ジョルジュ・スーラ Georges Pierre Seurat

1859.12.2~1891.3.29
フランスの画家。パリに生まれる。新印象主義の創始者。
パリのエコール・デ・ボザールで学ぶ。印象主義の色彩理論をより厳密に、科学的に分析し、シニャックとともに新印象主義の様式を考案。色彩を各要素に分解し、細かいタッチでキャンバスに並べることによって、観る者が眼の網膜でそれらを混合し、明るく微妙な色彩を感じるというものであった。
この色彩論によって描かれた大作『グランド・ジャット島の日曜日の午後』は1886年の第8回印象派展に出品されたが、非常な物議を醸した。
1891年、アンデパンダン展に『サーカス』を未完のうちに出品した。

8月 アンリ・ルソー Henri Rousseau

1844.5.21~1910.9.2
フランスの画家。貧しいブリキ職人の子としてマイエンヌ県のラヴァルに生まれる。
軍隊附軍楽隊員、税関吏などの職を経て、40才近くになってから独学で絵を始めた。
1886年からアンデパンダン展に出品するも、当初は稚拙な作品としてジャーナリズムの冷笑を浴びた。
しかし、軍楽隊員として赴任したメキシコの想い出からイメージした熱帯の密林の風景、動物や民衆の生活など、写実と幻想の交錯する作品は、アポリネール、ピカソらキュビズムの画家たちから支持された。
代表作に『戦争』(1894)、『眠れるジプシー女』(1897)など。

9月 ピーテル・ブリューゲル Pieter Brueghel

1525頃~1569.9.9
フランドルの画家・素描家・銅版下絵画家。
オランダ北部のブリューゲル村に生まれたといわれる。彼の2人の息子ピーテル(子)とヤンも画家。
1551年アントワープの画家組合に入会。
当初、風景画家としての地位を確立する。次いで、ヒエロニムス・ボスの影響を受けた『七つの大罪』(1558)など、幻想的な風刺画を銅版画シリーズとして制作する。
やがて『バベルの塔』(1563)などの作品あたりから版画よりも絵画へと制作の重点が移行していく。
彼の描く風俗画には複雑な寓意がこめられている。
また、多くの農民の日常生活を描いたため「農民ブリューゲル」の名を与えられた。

10月 アメデーオ・モディリアーニ Amedeo Modigliani

1884.7.12~1920.1.25
イタリアの画家・彫刻家。ユダヤ系の名家の子としてリヴォルノに生まれる。
フジタ、シャガールなどとともにエコール・ド・パリの代表的な画家の一人。
はじめフィレンツェの美術学校に学ぶ。
ほとんど風景画を描かず、作品の大半は肖像と裸婦ばかりであった。
優美で繊細な曲線で描かれた細長い首、卵形の顔。単純化された作品中の人物は、優美でメランコリックで不思議な表情をたたえている。
モンマルトル、モンパルナスで生涯貧困と飲酒の生活を送り、35才で没。
代表作に『白いクッションの裸婦』(1917)、『ジャン・コクトーの肖像』(1916)

11月 エーゴン・シーレ Egon Schiele

1890.6.12~1918.10.31
オーストリアの画家。ドナウ河畔トゥルンに生まれる。
ウィーン・アカデミーに学ぶ。1907年、クリムトと出会い、生涯親交を結ぶ。クリムトに加え、ホドラーや浮世絵、特に素描面ではロートレックの影響を受けた。1909年、アカデミーを退学後、新芸術集団を結成。素描力に優れ、その描線は装飾的なクリムトのそれとは異なり、硬質で表現主義的である。体を開き、身をよじる官能的・挑発的な人物たちからはその硬質な描線を通して愛情の哀歓が感じられる。1918年、第49回ウィーン分離派展で芸術的・経済的に初めての成功を収めるが、同年にスペイン風邪にかかり28才の若さで没。代表作に『家族』(1918)など。

12月 葛飾北斎 Hokusai Katsushika

1760.9.23~1849.4.18
江戸後期の浮世絵師。江戸本所に生まれる。
1778年(安永7)、勝川春章に入門して浮世絵を学ぶ。以後、狩野派、琳派、土佐派など江戸絵画の諸画法だけでなく西洋画も学ぶ。1814年『北斎漫画』を制作。
1831年頃から錦絵の大作『富嶽三十六景』を発表し、日本における風景画の境地を開く。
それまでの浮世絵師が自然を単なる人物の背景としか見なかったのに対し、自然と人物の調和を描いた。以後、『琉球八景』『諸国滝廻り』など、風景画の連作を制作。
のち、風景画をはなれ、花鳥画などを描くようになる。
彼の画法は、のちのフランス印象派の画家に大きな影響を与えた。