世界の偉人筆跡カレンダー 1998年

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1998年 Calendar  





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1月 ヤーコプ・ルートヴィヒ・カール・グリム Jacob Ludwig Karl Grimm

1785.1.4~1863.9.20
ドイツの言語学者・文学者。ハナウに生まれる。
弟ヴィルヘルムと共にゲッティンゲン大学で司書兼教授を務めたあと、
1841年、プロイセン王に招かれベルリン学士院の会員となる。
ゲルマン語における子音推移の法則「グリムの法則」を提唱、
また兄弟で協力し、初めて体系的に『ドイツ語辞典』を編集するなど
ゲルマン語学の基礎を築いた。
また、両者はゲルマン民俗学を研究し、ドイツ各地の童話を収集。
『子どもと家庭の童話』はグリム童話集』として諸国語に訳され愛読されている。

2月 エヴァリスト・ガロア Evariste Galois

1811.10.25~1832.5.31
フランスの数学者。近世の高次代数方程式理論の先駆者。
中学時代、数学に特異な才能を現したがこれを認め得る教師がいなかった。
18歳の時、学士院に送った論文は理解不能として2度送り返される。
過激な共産党員として2度投獄され、出獄後、恋愛問題に端を発し、
決闘により20歳の若さで命を落とした。
決闘前夜、友人に送った短い手記には、「ガロア群」に関する重要な創見を含んでいる。
「ガロア群理論」は、純粋数学建設の芸術的作品として誉れ高い。

3月 マルチン・ルター Martin Luther

1483.11.10~1546.2.18
ドイツの宗教改革者。
1505年、信仰生活に入ることを決意し、アウグスティヌス会修道院に入る。
1510年、ローマを訪問し、帰国後ヴィッテンベルク大学神学教授となる。
1517年、法王の免罪符濫売に抗して「95ヶ条の意見書」を
ヴィッテンベルグの教会の門扉に掲示したため、教皇より破門される。
その後、活発な文筆活動や説教、講義を行い福音主義を説き、
反ローマ教会、反法王主義の態度を明瞭にした。
新約聖書のドイツ語訳を試み、また彼の作った賛美歌は今も広く歌われている。

4月 杉田玄白 Genpaku Sugita

1733.9.13~1817.4.17
江戸後期の蘭医学者。小浜藩(福井県)出身。
1765年、藩の奥医師、1769年には父の跡を継ぎ侍医となる。
1771年、オランダ人から医学書『ターヘル・アナトミア』を入手。
同年、女刑囚の解剖に立ち会うが、漢医学の曖昧な臓器図に比べ、
その時持参していた『ターヘル・アナトミア』の正確さに驚愕し、この書の翻訳に
前野良沢、中川淳庵らと共に着手し始める。1774年、『解体新書』完成。
その翻訳作業の苦労は『蘭学事始』(1815)に記されている。
蘭医学の親展に大きく貢献した。

5月 カール・グスタフ・ユング Carl Gustav Jung

1875.7.26~1961.6.6
スイスの心理学者・精神医学者。
チューリッヒ大学で医学を修め、1905〜1913年同大学講師を務める。
フロイトの影響を受け精神分析学から出発したが、性欲学説には加担しなかった。
生の哲学の傾向が強く、人間の性格を内向型と外向型の二型に分け、心理的類型説を提唱。
また、同じチューリッヒ大学教授のブロイラーに協力し、連想検査法を確立した。
著書に『心理的類型』(1920)など。

6月 シャルル・ド・セコンダ・バロン・ド・ラ・ブレード・エ・ド・モンテスキュー
   Charles de Secondat, baron de la Brède et de Montesquieu

1689.1.18~1755.2.10
フランスの啓蒙思想家・法学者。
法律を修め、1714〜1716年ボルドー高等法院判事、1716〜1726年同院長を務める。
その後、法律研究のためヨーロッパ諸国に遊学、2年間イギリスに滞在した。
主著『法の精神』(1748)では、法律制度と地理的・社会的条件との関連を追求。
イギリス憲政の紹介と共に三権分立論を主張し、
アメリカ合衆国憲法やフランス革命など、後の政治及び社会思想に影響を与えた。
他に、『ローマ人盛衰原因論』(1734)なども著す。

7月 フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト Philipp Franz von Siebold

1796.2.17~1866.10.18
ドイツの医学者。
1823年、オランダ政府より日本についての総合的調査を命ぜられ、
長崎・出島のオランダ商館の医師として着任。
任期中、動植物、地理、歴史等、日本に関する全般の研究資料を集めた。
また鳴滝塾を開き、西洋医学及び一般科学の教鞭を執る。門下生に高野長英らがいる。
1828年、帰国にあたり国外持ち出し厳禁の日本地図が発見され、罪を問われる。
1859年再び来航。日本文化の発展に寄与した功績は大きい。

8月 ニコラウス・コペルニクス Nicolaus Copernicus

1473.2.19~1543.5.24
ポーランドの天文学者。
大学で神学と医学を学び、その後、イタリアに留学して法律、医学、数学、天文学を修めた。
聖堂参事会員としての仕事の他、医師、天文学者、数学者でもある典型的ルネサンスの才人。
肉眼による天体の観測とギリシア思想に基づき、地動説を首唱した。
しかし革新的宗教革命家のルターらも含め、新旧キリスト教会から激しい非難を受ける。
彼の学説がガリレイやニュートンらによって立証されるまでに、その後約3世紀を要した。
主著に『天球の回転について』(1543)

9月 ジークムント・フロイト Sigmund Freud

1856.5.6~1939.9.23
オーストリア(ユダヤ系)の神経学者・精神医学者。
ウィーン大学で医学を学んだ後、同大学神経病理学講師となる。
その後パリで睡眠術によるヒステリー治療を研究。
やがて睡眠術に代わる自由連想法を試み、精神分析学を生み出した。
1900年『夢の解釈』公刊。彼の精神分析の理論は当初、容易に学問として受け入れられなかった。
しかし、芸術、宗教、文化の諸方面で共鳴を得、
次第に学問的地歩を固めた。1911年、国際精神分析学会を設立し、
翌年、機関誌『イマゴー』を発刊。1938年、ナチスに追われロンドンに亡命した。

10月 本居 宣長 Norinaga Motoori

1730.5.7~1801.9.29
江戸中期の国学者・近世国学の大成者。
1752年、医学を修得するため京都に行く。医学修業の傍ら和歌・古典文学を研究。
1763年、賀茂真淵に入門し古道研究を志す。終生の課題は、中国文化ではなく、
日本文化に根ざした借り物ではない学問を築くことであった。
『源氏物語』などの中古文学や和歌の本質を「もののあはれ」とする文学評論を展開。
『てにをは紐鏡』(1771)などの言語学研究の本も著す。
これらすべての集大成が主著『古事記伝』(1798)である。

11月 フリードリヒ・エンゲルス Friedrich Engels

1820.11.28~1895.8.5
ドイツの思想家・革命家。
マルクスと共に科学的社会主義の創始者。
紡績工場主の父の跡を継ぎ、家業に従事しながら文学や哲学を研究。
マルクスと共に共産主義者同盟を指導し、『ドイツ・イデオロギー』(1845-1846)、
『共産党宣言』(1848)を共著、マルクス主義を樹立した。
マルクスの活動や『資本論』(1867-94)の完成を経済的に支える。
マルクスの死後、その遺稿を整理・刊行。また、国際労働運動を指導した。

12月 ゲオルグ・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル Georg Wilhelm Friedrich Hegel

1770.8.27~1831.11.14
ドイツの哲学者。
1788年、テュービンゲン大学の神学科に入学。哲学、神学を研究。
シェリングらとの交友をはじめ、カントに代表される新たな哲学運動や、
フランス革命から思想的な影響を受けた。1801年、イェナ大学講師。
1807年、最初の主著『精神現象学』。1818年、ベルリン大学教授。
1821年『法の哲学』発表。このベルリン時代に彼を中心に
大きなヘーゲル学派が形成され、その哲学は当時の主流となり、
ドイツ国内のみならず、フランス、デンマークにまで広く影響を与えた。