世界の偉人筆跡カレンダー 1999年

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1999年 Calendar  





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1月 アントニオ・ビバルディ Antonio Vivaldi

1680~1741.7.28
イタリアのバイオリニスト・作曲家。ベネチアに生まれる。
1703年に司祭となるも同年これを辞し、
1740年までベネチアのピエタ慈善院の音楽責任者を務める。
「調和の幻想」(1712)で名声を得、「四季」(1725)で音楽家として不動の地位を築く。
独奏バイオリンコンツェルトの様式を発展させ、確立した。
オペラや宗教音楽、コンツェルトなど、多数の作品を残す。
J.Sバッハは、ビバルディのコンツェルトを鍵盤曲用に編曲している。

2月 ゲオルク・フィリップ・テーレマン Georg Philipp Telemann

1681.3.14~1767.6.25
ドイツの作曲家。マクデブルクに生まれる。
ライプチヒ大学で法学を学んだ。音楽は独学で習得したものである。
1704年、オルガン奏者となるが、同年、ライプチヒを離れ、
楽長、指揮者としてドイツ各地をまわる。
1721年、ハンブルク市音楽監督となる。
教会音楽をはじめ、46の受難曲、40以上のオペラ、
膨大な量の器楽曲などがあり、多作である。

3月 ジョージ・ガーシュイン George Gershwin

1898.9.26~1937.7.11
アメリカの作曲家。ニューヨークに生まれる。
シンフォニック・ジャズ指揮者のポール・ホワイトマンの委嘱で
「ラプソディ・イン・ブルー」(1924)を発表して名をあげる。
1928年に「パリのアメリカ人」、1935年「ポーギーとベス」を初演し、
アメリカ初の民族的オペラとして高い評価を得る。
ジャズ、ブルース、ポップスの手法をクラシック音楽に導入し、
20世紀前半の作曲家たちに影響を与えた。

4月 ニッコロ・パガニーニ Niccolò Paganini

1782.10.27~1840.5.27
イタリアのバイオリニスト・作曲家。ジェノバに生まれる。
幼少より父親から音楽教育を受け、9才でステージに立つ。
欧州各国を歴訪し、その器用で華麗なテクニックは各地で人々を魅了した。
ピッチカート、複音奏法などバイオリン演奏技術の革命を起こす。
1820年、バイオリン曲の中でも演奏が至難とされる「24のカプリッチョ」を発表。
私生活では賭博癖と情事がやまず、
各門の夫人との情事で投獄されたこともあった。

5月 アントン・ブルックナー Anton Bruckner

1824.9.4~1896.10.11
オーストリアの作曲家・オルガン奏者。
1868年、ウィーン音楽院の作曲教授となる。
フランス、イギリスなどを演奏旅行。オルガンの大家としては認められていたが、
作曲家としては生前あまり認められていなかった。
死後、1920年頃から評価が高まり始めた。
九つの長大な交響曲が有名。
その主題、ロマン的和声法などはシューベルトやワーグナーの影響を受けた。

6月 モデスト・ペトロヴィチ・ムソルグスキー Modest Petrovich Musorgskii

1839.3.21~1881.3.28
ロシアの作曲家。
陸軍士官となり、後に官吏も務めた。
1856年、ボロディン、バラキレフらと交わり、「ロシア五人組」の一人となる。
技巧的には未熟さがありながら、強固な創作力でスケールの大きな作品を残した。
とくに歌劇「ボリス・ゴドノフ」の音楽性は高く評価されている。
慢性アルコール依存症で、没後、友人のリムスキー・コルサコフが
未完に終わった作品の多くを整理・完成させた。

7月 ビンチェンツォ・ベリーニ Vincenzo Bellini

1801.11.1~1835.9.23
イタリアのオペラ作曲家。
オルガン奏者の息子としてシチリアに生まれる。
シチリア貴族の後援でナポリの音楽院に学ぶ。
ミラノのスカラ座のために多くのオペラを作曲した。
「夢遊病の女」(1831)、「ノルマ」(1831)がとくに有名。
優美で哀愁を含んだ作風で、
ショパン、リストらに影響を与えた。

8月 マックス・レーガー Max Reger

1873.3.19~1916.5.11
ドイツの作曲家。
リーマンに理論を学ぶ。
1901年、ミュンヘン音楽院教授、1907年、ライプチヒ音楽院作曲教授に就任。
1911年にはマイニンゲンの宮廷指揮者となった。
作風は後期ロマン派的で、ファンタジーに富んでいる。
絶対音楽への傾向が強く、作品はオペラ以外のあらゆるジャンルに及ぶ。
「バッハ主題による変奏曲とフーガ」を初めとするオルガン曲は、
ドイツ・オルガン音楽の最高傑作の一つである。

9月 ガエターノ・ドニゼッティ Gaetano Donizetti

1797.11.29~1848.4.8
イタリアのオペラ作曲家。
ベルガモ、ボローニャ、2つの音楽学校で学ぶ。
「アンナ・ボレーナ」(1830)で国際的な名声を得た。
ロッシーニの影響を大いに受け、
約60のオペラ曲を作曲した。
「ランメルモールのルチア」(1835)で成功を収めるも、
麻痺に侵され精神を病んだ。

10月 アルフレッド・エリック・レスリー・サティ Alfred Erik Leslie Satie

1866.5.17~1925.7.1
フランスの作曲家。
パリ音楽院およびスコラ・カントルムで学ぶ。
1917年、ジャン・コクトーのシナリオで
ピカソの舞台美術によるバレエ「パラード」を作曲、
オーケストラにサイレン、ピストルなどの擬音を取り入れるなど実験的手法を試みた。
劇への付随音楽、バレエ音楽の他、ユーモアに富んだ題名を持つ小形式のピアノ曲が多い。
その個性的な作風は、フランス現代音楽の先駆となった。

11月 ジュゼッペ・タルティーニ Giuseppe Tartini

1692.4.8~1770.2.26
イタリアのバイオリニスト・作曲家。
パドバの聖アントニオ聖堂の管弦楽長を務める。
パドバにバイオリン学校を設立、多くの優れた音楽家を輩出した。
また、弓の材料や弦の太さを改良、
奏法研究により近代バイオリン奏法の基礎を築き上げた。
代表作「悪魔のトリル」(1735頃)など、多数のバイオリン曲のほか、
「運弓法」などの著述も残している。

12月 ジョアッキーノ・アントニオ・ロッシーニ Gioacchino Antonio Rossini

1792.2.29~1868.11.13
イタリアを代表するオペラ作曲家。音楽家の両親のもと、ペザロに生まれる。
ボローニャの音楽院で学ぶ。
1816年、「セビーリャの理髪師」をローマで上演し、第一級の作曲家として認められる。
1823年、パリのイタリア劇場の音楽監督となる。
1829年、「ウィリアム・テル」を最後に、再びオペラを創作することはなかった。
豊かで美しい旋律、巧妙な管弦楽法、明るい感情の描出を特徴とし、
当時だけでなく今日最も人気あるオペラ作品である。