世界の偉人筆跡カレンダー 2002年

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2002年 Calendar  





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1月 ヴィクトル・ユゴー Victor Hugo

1802.2.26~1885.5.22
フランスの詩人・小説家・劇作家。
スイス国境近くのブザンソンに生まれる。
ロマン主義運動の指導者として活躍した。もともとナポレオン一世の熱烈な
崇拝者であったユゴーは、政界にも進出し、最初期待をもってナポレオン三世を支持したが
政権を執るやいなや独裁色を強めたため、ユゴーはこれを糾弾した。
そのため19年にわたる亡命生活を余儀なくされる。
その間、代表作『レ・ミゼラブル』など社会小説を多く著した。
文学的・社会的に平等・自由の精神をもって活動し、国民の尊敬を集めた。
また、人間味あふれる人柄で、生涯たくさんの女性を愛した。

2月 アントン・パヴロヴィッチ・チェーホフ Anton Pavlovich Chekhov

1860.1.29~1904.7.15
ロシアの小説家・劇作家。南ロシアの港町タガンログに商人の子として生まれる。
事業不振のため中学生の彼を残して一家はモスクワに移住。
そのため苦学し、その経験がのちに書かれるリアリズム小説の基盤となった。
モスクワ大学医学部在学中から生活のため、多くのユーモア誌に短編小説を寄稿。
大飢饉、コレラが流行った年は、飢餓者救済運動や医療活動を精力的に行った。
41才で女優オリガ・クニッペルと結婚。結婚する前、友人に通い婚が理想だと冗談交じりに
語ったが、仕事を続けるオリガはモスクワに、チェーホフは肺結核療養のため田舎暮らしとなり
奇しくもそのとおりになった。冗談好きの彼のもとにはブーニンをはじめ多くの若い作家が集まった。
戯曲『ワーニャ伯父さん』『かもめ』『桜の園』など、ロシアの演劇史に転換期をもたらした。

3月 アーサー・コナン・ドイル Arthur Conan Doyle

1859.5.22~1930.7.7
イギリスの小説家。エディンバラに生まれる。
エディンバラ大学で医学を修めるが、ここで名探偵シャーロック・ホームズのモデルとなった
外科医ベル博士に学ぶ。『緋色の研究』に始まる約60篇にも及ぶシャーロック・ホームズの
物語は、世界的な名声をもたらした。また、約180cm・108kgのその体格は一見スポーツマンを
思わせ、実際クリケットやボクシングに秀でていた。
イギリス人の異民族に対する偏見を起因とする2件の冤罪事件を自ら分析・弁護し、
無実を勝ち取り釈放させた。
晩年は超常現象に強い興味を持ち、その分野の著作を刊行するなど精力的に活動した。
1902年「勲爵士(ナイト)」に叙爵される。

4月 ハンス・クリスチャン・アンデルセン Hans Christian Andersen

1805.4.2~1875.8.4
デンマークの作家・詩人。オーデンセに生まれる。
極貧の靴職人の父と信心深い母のもとで育つ。父はもの知りで合理的な考えをもっていた。
手製のおもちゃで物語を語ってくれたり、絵を描いては遊んでくれた。夢見る詩人の基礎が
そこにある。14才で俳優を志し、単身、首都コペンハーゲンに出るが成功しなかった。
苦学して30才の時『即興詩人』を発表、評価される。また、最初の童話集『子供に話して
聞かせるお話集』が刊行された。以後、『人魚姫』『マッチ売りの少女』など童話は
130余編にまで及んだ。自分で作った童話を子供のいる家に行き、よく読んであげたという。
謙虚であり、現実や人間に対する鋭い洞察眼を持っていた。
生涯独身で様々な地を訪れ、特にドイツとイタリアに親しんだ。

5月 ライナー・マリア・リルケ Rainer Maria Rilke

1875.12.4~1926.12.29
ドイツの詩人。古都プラハに生まれる。
「フランス人の血を引く」と自称する虚栄心の強い母ゾフィアは、女児を失った悲しみから、
9才までリルケを女の子として育てる。この幼児体験は彼の性格形成と詩作に多大な影響を
及ぼした。多くの恋愛、交友関係を経ながら多くの詩を生み出す。ロシアでトルストイと親交を結び
パリでロダンの秘書として同居した。それらの体験は、彼の作風を叙情的なものから
客観的なものへ変化させていく。その後も各地を漂流し、晩年、スイスの片田舎の城館にて、
『ドゥイノの悲歌』『オルフォイスへのソネット』を完成、人間存在のすばらしさを歌い上げた。
急性白血病が原因で51才で死去。自身による墓碑銘は
「ばらよ おお清らかな矛盾よ あなたの瞼のしたで だれの眠りでもないという よろこびよ」。

6月 ヘンリック・イプセン Henrik Ibsen

1828.3.20~1906.5.23
ノルウェーの劇作家・詩人。港町シーエンに生まれる。
7才の時、富裕な商人であった父が破産。
薬屋に奉公しながら処女作『カティリーナ』を書く。
ベルゲンの劇場の舞台監督兼脚本家を経て、首都の国民劇場の監督として迎えられる。
この劇場がまた破産、多くの負債を抱え妻子を伴ってイタリアに赴く。
イタリアでは友人への手紙も着払いにするほど困窮したが、
韻文劇『ブラン』『ペール・ギュント』によって一躍評価された。
散文劇『人形の家』は、女性解放劇として世界的に反響を呼んだ。次々と問題作を生み、
演劇を単なる娯楽から社会問題を提起する場とし、近代劇の父と呼ばれる。

7月 アルチュール・ランボー Jean-Nicolas-Arthur Rimbaud

1854.10.20~1891.11.10
フランスの詩人。アルデンヌ県シャルルヴィルに生まれる。
17才でフランスの詩壇に鮮烈に登場し、20才で文筆活動に永遠の別れを告げた。
野生の詩人ヴェルレーヌに深く傾倒し共同生活を送る。
二人はともに各地を巡り多大な影響を与え合うが、
ヴェルレーヌから発砲されたことを契機に二人の関係は終焉を迎える。
それまでの生活を清算すべく『地獄の季節』を最後に、筆を折った。
その後37才で夭折するまで現実主義者として世界各地を放浪した。
若さゆえの社会や秩序への反逆、怒りや驚きが荒々しいまでに綴られたランボーの詩は
それまでの冗長なフランス詩と異なり、新鮮で衝撃的であった。

8月 エドガー・アラン・ポー Edgar Allan Poe

1809.1.19~1849.10.7
アメリカの小説家・詩人。ボストンに生まれる。
旅役者の両親を幼少時に失い、商人アラン夫妻の養子となる。
養父から十分な援助を得られず、学費を賄うために手を出した賭博で失敗し、大学を中退。
14才の従妹と結婚し、雑誌編集者として優れた業績を上げる。
自ら寄稿した短編小説や、辛辣な批評によって1年でその発行部数を700部から
5,000部近くまで伸ばしたという。『アッシャー家の崩壊』といった怪奇もの、
『モルグ街の殺人』といった探偵ものや、詩『大鴉』など多岐にわたる名編を残した。
妻の死後は貧困のなか、酒と阿片に溺れ、その生涯は不遇であった。

9月 アレクサンドル・セルゲエヴィッチ・プーシキン Aleksandr Sergeevich Pushkin

1799.6.6~1837.2.10
ロシアの詩人。貴族の子としてモスクワに生まれる。
帝室高等学校在学中より優れた詩を発表する。卒業後、ペテルブルグの外務院に勤務。
政治的自由思想に基づいた詩『自由』『農村』の刊行や、無神論的な内容の手紙を
政府に発見され、2度の流刑に処される。流刑先で叙事詩『ボリス・ゴドゥノフ』を完成。
1826年、新皇帝ニコライ一世によって赦されモスクワに帰った。
最期は妻に言い寄る外国公使との決闘で命を落とす。小説『スペードの女王』、
叙事詩『青銅の騎士』など、その作品は国民生活と深く結びつき、人間の尊厳と自由をなによりも
重要とするヒューマニズムが根底に流れている。ロシア近代文学の創始者で、以後のロシア文学に
おける国民性や思想は彼を源としている。
また、民衆のことばに基づいた近代ロシア語の基礎を築いた。

10月 ヴォルテール Voltaire

1694.11.21~1778.5.30
フランスの啓蒙思想家・文学者。パリに生まれる。
ヴォルテールはペンネームで本名はFrancois-Marie Arouet(フランソワ=マリ・アルーエ)。
はじめ父の希望で法律学を学ぶが、すぐに文学に熱中。辛辣な皮肉に満ちた表現を得意とし
その著書によって2度バスティーユに投獄される。イギリスに渡って議会制度に代表される
民主主義の思想に共感し、帰国後、その見聞をまとめた『哲学書簡』によって逮捕状が下ったため
愛人でありパトロンであったシャトレ侯爵夫人の別荘に隠れる。約10年後に迎えられた
ヴェルサイユ宮や、プロイセンのフリードリヒ大王のもとも、考えの相違で去り、
最終的にスイス国境近くのフェルネーに落ち着く。その地で封建的・前時代的な教会を否定し
小説や書簡、劇を通じて宗教上の犠牲者を救うべく啓蒙活動に努めた。

11月 チャールズ・ディケンズ Charles Dickens

1812.2.7~1870.6.9
イギリスの小説家。イギリス南岸のポートシー郊外に生まれる。
生後まもなく一家でロンドンに移住するが、借金返済不能となり父親が投獄された。
このため生計をたてるべく12才で働きに出る。
当時の職場のいじめっ子ボブ・フェイギンは、後の小説『オリヴァー・ツイスト』に
極悪非道な人物として同名で登場する。
ディケンズは大都会ロンドンに魅せられ、触発され、その様々な顔を描いた。
『大いなる遺産』『クリスマス・キャロル』などの物語は世界中で愛読され、
トルストイやカフカなどもその一読者であった。貧者に対する愛情と強い正義感を持って
人間社会の多くの矛盾を描き出すだけでなく、奴隷反対論を支持し、社会改革にも熱心だった。

12月 フリードリッヒ・シラー Johann Christoph Friedrich Schiller

1759.11.10~1805.5.9
ドイツの詩人・劇作家。シュヴァーベン地方のマルバハに生まれる。
敬虔なプロテスタントの家庭に育ち、宗教文学に親しんだ。神学を修めるつもりであったが
領主の命令で軍人養成学校に入学、法学と医学を修め、連隊付軍医となる。
しかし密かに書いた処女作『群盗』が領主の怒りを買い、逐電。出奔する当日、
一刻を争うときも荷物整理でたまたま目にしたある頌歌を夢中で読み、
かつ返歌を創作するのに没頭していたという。その後、各地を転々としながら創作活動を行い、
ゲーテと親交を結び、共作を著したりしながらドイツ古典主義文学を確立する。
三部悲劇『ヴァレンシュタイン』、戯曲『ヴィルヘルム・テル』など、
劇作においてドイツの最高の作家である。
また、ベートーヴェンの交響曲第九番は、シラーの『歓喜に寄せて』に着想を得て、作曲された。