経済産業大臣賞に感謝して
中川さくたろう



田中一光氏が生前、著書『デザインと行く(白水社)』に次のように書いてくれている。『昨年、今年と続けて全国カレンダー展で最高位の賞を獲得しているミサワホームのカレンダーなどは、シューベルトや、ベートーヴェンの楽譜などから肉筆の数字を抽出し、今年はまた、近松門左衛門や、光琳などの直筆の中から和数字を捜し出して、その字を基にして暦を構成するなどという、知能犯的発想のものも現れた』。浅葉克己氏や戸田正寿氏もずっとこのカレンダーを愛用されているそうだ。デザイン界の大物たちが認めてくれたこのシリーズは、今年『ゴッホの生涯と筆跡カレンダー』で25冊目、四半世紀続けることができた。デジタルが当たり前の世の中に最たるアナログの直筆を基に組み立てたカレンダーは一見時代遅れのようで「まだその企画やってるの?」と言われたこともあった。しかし人の書き残した数字には何と言っても温もりがある。ゴッホの数字も何人もの人からそれを指摘された。写真使いのカレンダーも依然として多いが、暦の基本である日付がサブ的要素となるため、ポスターならわかるが、機能としてぼくらの中ではどうしても相容れないものがあった。「日付が主役でしかもそれが絵になるカレンダー」という一つの答えが偉人の筆跡カレンダーである。一緒に25年このカレンダーの仕事で歩みを共にしてくれた尾白豊氏とはこれが共通の思いだ。同時にそれはミサワホームの「子育ての家」という教育的な考え方にも通じて、無理なく広がって行った。ここ4年間は1人の偉人を選び、12カ月を構成しているが、それ以前は12人のサインと筆跡で12カ月を組み立てていた。どちらが大変かと聞かれても筆跡を集めるのは、いずれも大変である。さいわいにして、今回ゴッホの手紙が英語版で出版されたとの情報があり、またファン・ゴッホ美術館の協力が得られたお陰で筆跡が豊富に入手できた。それらはまさに『ゴッホの絵手紙』であった。弟のテオや友人に宛てて、手がけている主題や絵の構想をスケッチ入りで伝えた。特に弟テオは兄が画家として大成することを夢見て、生活の面倒をみたスポンサーである。ゴッホは食べ物や衣服には頓着しなかったが、アトリエや絵に関しては費用が嵩み毎月生活費がすぐに飛んでしまった。『君の都合で構わないが、できるだけ早く送ってくれ』と仕送りをせがむ便りを何通も書いていた。これら貴重な手紙類がこのカレンダーにとっては何よりの宝物である。そして今回初めて試みたのは、日付、手紙、曜日、サインなど全て7月は友人ゴーギャンの、12月は弟テオの、主役以外の筆跡で2カ月を構成したことである。こうした企画が編集に少々厚みを増してくれたのではないだろうか。最後にクライアントのミサワホームと企画に参加してくれている宣伝の長岡氏、印刷、筆跡の許諾など、ぼくらのわがままな要望に応えてくれた大日本印刷の方々に深謝したい。

-カレンダー年鑑2012より-